01複雑性PTSDとは

つらい出来事は、もう終わっている。周囲もそう言うし、自分でもそう思おうとしてきた。それなのに、ふとしたきっかけで、あのときの感覚がからだごと戻ってくる。

時間がたてば薄れていく。多くの記憶は、たしかにそうです。では、なぜこの苦しさだけは終わらないのか。自分の心が弱いからなのか。それとも、性格がゆがんでしまったのか。

この状態には、名前があります。虐待・DV・いじめ・ネグレクトなど、長期間くり返された対人トラウマのあとに生じる、複雑性PTSDです。2022年から使われているICD-11(国際疾病分類 第11版)で、独立した診断カテゴリーとして新たに位置づけられました。

診断名は新しいものの、状態そのものが新しいわけではありません。ICD-11以外の診断体系でも、長期反復トラウマの影響は認識されてきました。PTSD診断に「解離症状を伴う」という特定用語(離人感・現実感消失)を添える形です。

複雑性PTSDの有病率については、一般人口の約1〜4%とする疫学研究があります(Cloitre et al., 2019; Ben-Ezra et al., 2018)。決してまれな状態ではありません。

症状は、二つの層で捉えられています。一つは、PTSDと共通する3つの中核症状です。

PTSDの中核症状

  1. 再体験症状:トラウマ記憶のフラッシュバックや悪夢
  2. 回避症状:トラウマを想起させる状況・思考の回避
  3. 脅威の感覚:過覚醒、過度の警戒心

もう一つが、複雑性PTSDに特徴的な自己組織化の障害と呼ばれる3つの症状群です。

自己組織化の障害

  • 感情調節の困難:感情の爆発や麻痺、ストレス下での解離
  • 否定的自己概念:「自分は価値がない」「壊れている」という持続的な信念
  • 対人関係の障害:他者への信頼困難、親密な関係の回避や不安定さ

後半の3つは、一見すると症状に見えないかもしれません。感情の波も、自己否定も、人への不信も、長いあいだ「自分の性格」として抱えてこられた方が多いからです。

けれども、これらは長期のトラウマが残した症状です。トラウマに焦点をあてた心理療法を継続することで、多くの方が回復に向かいます。


02こんな症状はありませんか?

名前を知っても、自分の状態がそれにあたるのかどうかは、また別の問題です。次の症状を、この数か月の毎日と照らし合わせてみてください。

再体験症状

  • つらい出来事の記憶が突然、生々しく蘇ってくる(フラッシュバック)
  • その出来事に関する悪夢を繰り返し見る
  • 思い出した時に動悸、発汗などの身体反応が起きる

回避症状

  • トラウマに関する記憶や思考を避けようとしている
  • その出来事を思い出す場所、人、状況を避けている

脅威の感覚

  • 常に警戒心が強く、些細な刺激でびくっとする
  • 危険がないはずなのに、身が縮む感覚がある

感情調節の困難

  • 感情が激しく揺れ動き、コントロールが難しい
  • 感情がまったく感じられなくなることがある(感情の麻痺)
  • 強いストレスで、自分が自分でないような感覚がある(解離)

否定的自己概念

  • 「自分は価値がない」「自分は壊れている」と感じる
  • 深い恥の感覚や罪悪感がある
  • 自分を責め続けてしまう

対人関係の障害

  • 他者を信頼することが難しい
  • 親密な関係を築くことに恐怖を感じる
  • 人間関係が不安定になりやすい

すべてあてはまる必要はありません。再体験や過覚醒に、感情の波、自己否定、人への不信が重なって続いているなら、相談する理由として十分です。

読み進めるうちに、からだがこわばってきた方もいるかもしれません。それも症状のあらわれ方のひとつです。無理にひとりで確かめようとせず、早めに精神科・心療内科にご相談ください。

このチェックリストは診断を確定するものではありません。参考情報としてご活用ください。

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03複雑性PTSDはなぜ起こるのか

同じような経験をしても、平気に見える人はいます。だからこそ、「自分が弱いだけではないか」という考えが手放せなくなります。

あなたが弱いから発症したのではありません。複雑性PTSDは、逃げられない状況の中で生きのびるために、脳とこころが適応した結果です。そして適応は、状況が終わったあとも、自動的には解除されません。

複雑性PTSDを引き起こしうるトラウマ体験

複雑性PTSDは、単回のトラウマよりも、長期間くり返される対人トラウマと強く関連しています。代表的なのは、次のような体験です。

  • 幼少期の虐待やネグレクト
  • DV(ドメスティック・バイオレンス)
  • 学校や職場での長期にわたるいじめ
  • 戦争捕虜や人身売買などの長期の監禁・拘束
  • 児童養護施設等での不適切な扱い

小児期の逆境体験については、大規模な研究があります(Felitti et al., 1998)。幼少期のトラウマ体験の数が多いほど、成人後の心身の健康リスクが高まることが示されています。

脳のメカニズム

「昔のことなのに、なぜ今も苦しいのか」。この問いに対しては、脳の研究から説明が進んでいます。PTSDと共通する脳の変化に加え、より広範囲な神経回路の変化が生じていると考えられています。

まず、恐怖を検知する扁桃体が過活動になり、安全な状況でも危険を感じてしまいます。気が休まらず、些細な刺激にからだが反応するのは、この変化と対応しています。

次に、記憶の文脈化を担う海馬の体積が減少し、過去と現在の区別がつきにくくなります。トラウマ記憶が「昔の出来事」として整理されないまま、いま起きていることのように再生されるのです。

さらに、感情調整と理性的判断を担う前頭前野の機能低下が、感情コントロールの困難につながります。自己認識を担うデフォルトモードネットワークにも、変化が生じることがあります。「自分がだれかわからない」という感覚は、この変化と関係するとされています。

出来事が終わっても症状が終わらないのは、意志の弱さのせいではありません。記憶を整理し、危険から身を守る仕組みが、当時の形のまま働き続けているためです。

愛着と発達への影響

幼少期に安全な愛着関係が築けなかった場合、感情調整の基盤そのものが十分に発達しないことがあります。これは「性格が弱い」のではなく、発達の過程で脳が環境に適応した結果です。

養育者との関係の中では、「自分は守られる存在だ」「世界はおおむね安全だ」という感覚が育まれます。この感覚を育む機会がなかった場合、成人後も対人関係や自己認識に困難を抱えやすくなります。

機能不全家族で育った方(いわゆる「アダルトチルドレン」)が、複雑性PTSDの症状を抱えていることも少なくありません。


04複雑性PTSDはどう治療するのか

治療について調べるとき、いちばんの気がかりは「あの記憶を、話さなければならないのか」ではないでしょうか。実際の治療は、そこからは始まりません。

複雑性PTSDの治療では、段階的アプローチが広く用いられています。精神科医ジュディス・ハーマンが1992年に提唱した3段階モデルが代表的です。トラウマ記憶に取り組むのは第2段階であり、その手前に、心とからだを安定させる段階が置かれています。

薬物療法

薬物療法は、この安定を支える手段のひとつです。選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が基本として用いられます。セルトラリンやパロキセチンが代表的で、いずれもPTSDに対する保険適応があります。

感情の不安定さに対しては、気分安定薬を併用することがあります。睡眠障害に対しては睡眠薬を、解離症状には状態に応じた薬を組み合わせることもあります。

ただし、薬だけで複雑性PTSDが完全に改善することは難しく、心理療法との併用が基本です。抑うつ症(うつ病)不安症を併存している場合は、それらの治療も並行して行います。

段階を踏んで進める心理療法

心理療法は、3つの段階を順に進みます。順番そのものが、治療の安全を守る仕組みになっています。

第1段階:安全の確保と安定化

まず、日常生活の安全を確保し、感情を調整するスキルを身につけます。つらい体験を詳しく話すことは、まだ求められません。

  • 感情調整スキルトレーニング:感情の認識・命名・調整を段階的に習得します。STAIR Narrative Therapy は、この感情調整スキルの習得からトラウマ記憶のナラティブ(語り直し)まで一体的に進めるプログラムです(国立精神・神経医療研究センターの研究で、日本人患者さんでも症状の改善が報告されています)
  • グラウンディング技法:「今ここ」に意識を戻す方法で、フラッシュバックや解離への対処に役立ちます
  • 呼吸法・リラクセーション:自律神経を安定させ、過覚醒を和らげます

第2段階:トラウマ記憶の処理

十分に安定してから、トラウマ記憶の処理に取り組みます。安定化が不十分なまま進めると、症状が悪化するおそれがあるためです。準備ができてから、専門的な方法で少しずつ進めます。

  • 持続エクスポージャー療法:トラウマ記憶への段階的な直面化を行い、回避を減少させます
  • 認知処理療法:トラウマに関する否定的な認知を検討し、より現実的な考え方に修正します
  • 眼球運動による脱感作と再処理法(EMDR):両側性刺激を用いて、トラウマ記憶を再処理します。WHOや英国の診療ガイドラインで推奨されています

第3段階:再統合(リコネクション)

トラウマの処理が進んだら、人とのつながりを回復し、自分らしい生活を再建していきます。対人関係の構築、社会参加、将来の目標設定などに取り組みます。

セルフケア

診察室の外でも、できることがあります。複雑性PTSDのセルフケアでは、安全感と身体感覚の回復が軸になります。

  • グラウンディング:5つの見えるもの、4つの触れるものなど、五感を使って「今ここ」に意識を戻す
  • 呼吸調整:4秒吸って6秒吐く呼吸法で、自律神経を安定させる
  • 身体へのアプローチ:ストレッチ、ヨガ、散歩など、身体を通じて安全感を取り戻す
  • ジャーナリング:感じたことや考えを書き出すことで、感情を整理する

治療の見通し

では、どのくらいの期間がかかるのか。複雑性PTSDの治療は、通常のPTSDよりも長い取り組みになることが一般的です。安定化の段階だけで、数か月から1年以上かかる場合もあります。

ただ、時間がかかることは、治療がうまくいっていないことを意味しません。段階を踏むこと自体が、安全に回復へ向かうための方法だからです。

国際トラウマティック・ストレス学会では、2011年の専門家調査で段階的治療が支持されました。2019年の治療指針では、お一人おひとりに合わせた柔軟な治療の組み合わせが重視されています。

回復のペースは一人ひとり異なります。焦らず、ご自身のペースで治療を続けることが大切です。


05銀座泰明クリニックの治療方針

それでも、予約の一歩手前で手が止まることがあります。診察室で、何を、どこまで話すことになるのか。それが見えないままでは、足も重くなります。

当院では、精神保健指定医・精神科専門医が複雑性PTSDの診療を担当しています。

精神保健指定医・精神科専門医による診察

じっくりとお話を伺い、お一人おひとりに合った治療をご提案します。トラウマ体験は語ることに苦痛を伴うため、無理に聞き出すことはいたしません。信頼関係を築きながら、少しずつお聴きしていきます。いま話せる範囲のことだけで、診察は始められます。

段階的アプローチを大切にしています

複雑性PTSDでは、安全の確保と安定化を最優先にします。感情調整のスキルが十分に身についてから、トラウマ記憶の処理へと段階的に進めます。あせらず、あなたのペースに合わせて治療を進めます。

社会資源との連携

必要に応じて、配偶者暴力相談センター、児童相談所、犯罪被害者支援、就労支援機関などの社会資源へおつなぎします。適応反応症(適応障害)を併発して休職が必要な場合の診断書作成にも対応しています。

通いやすい診療体制

夜間・土日も診療しており、お仕事や生活と両立しながら通院いただけます。長期的な治療が必要となる複雑性PTSDだからこそ、通い続けやすい環境を大切にしています。

保険診療で受診できます

初診は約2,500〜3,000円、再診は約1,500円が目安です(3割負担の場合)。

※心理検査や血液検査を行った場合は、別途費用がかかる場合があります。

また、自立支援医療制度(精神通院医療)を利用すると、自己負担が1割に軽減されます。長期的な通院が必要な複雑性PTSDの治療では、経済的負担の軽減に役立ちます。詳しくはお問い合わせください。

「もう昔のことなのに」と、ご自身を責めながら過ごしてきた時間は、短くないはずです。症状には名前があり、順番を守って進める治療があります。話してみようと思えた日が、相談のタイミングです。

トラウマからの回復は、あなたのペースで

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06ご家族・周囲の方へ

そばで支えるご家族にも、戸惑いがあるはずです。急に感情があふれたかと思えば、心を閉ざして距離を置かれる。どう接すればよいのか、わからなくなる場面もあると思います。

その波は、甘えでも気まぐれでもなく、長年にわたるトラウマの影響による症状です。以下の点を心がけていただくことが助けになります。

接し方のポイント

  • 安全で予測可能な関係を提供する:複雑性PTSDの方は、人間関係の中で傷ついた経験があります。一貫した態度で接し、約束を守ることが信頼につながります。
  • 感情の波を責めない:感情の爆発や突然の引きこもりは、病気の症状です。「いつまでも甘えている」「大人なのだから」といった言葉は避けてください。
  • 境界線を尊重する:距離をとりたいときは無理に近づかず、その気持ちを尊重してください。本人のペースを大切にすることが回復を助けます。
  • 回復には時間がかかることを理解する:複雑性PTSDの治療は長期にわたります。「早くよくなって」というプレッシャーは逆効果になることがあります。
  • ご家族自身のケアも大切です:トラウマを抱えるご家族を支えることは、大きな負担を伴います。ご自身の心身の健康も守ってください。必要であれば、ご家族のための相談窓口もご利用ください。

07よくあるご質問

複雑性PTSDとPTSDは何が違うのですか?

PTSDは主に単回の強烈なトラウマ体験をきっかけに発症し、フラッシュバック・回避・過覚醒が中心症状です。複雑性PTSDは長期間にわたる反復的なトラウマ(虐待、DV、いじめなど)により生じ、PTSD症状に加えて感情調節の困難、否定的な自己概念、対人関係の障害を伴います。ICD-11では独立した診断として位置づけられています。

複雑性PTSDはどのくらいで改善しますか?

個人差がありますが、段階的な治療を継続することで改善が期待できます。まず安全感の確立と感情調節スキルの獲得を行い、その後トラウマ記憶の処理へと進みます。通常のPTSDよりも治療期間は長くなる傾向がありますが、焦らずご自身のペースで進めていくことが大切です。

幼少期のつらい体験がありますが、受診してよいですか?

もちろんです。幼少期の虐待やネグレクトなどの体験は、複雑性PTSDの主な原因のひとつです。「もう何年も前のことだから」と感じる方もいらっしゃいますが、長い年月が経過していても治療は可能です。お気軽にご相談ください。

トラウマについて詳しく話さなければいけませんか?

初診時に無理にすべてを話す必要はありません。複雑性PTSDの治療では、まず安全な治療関係を築くことを最優先にしています。信頼関係ができてから、少しずつお話しいただければ大丈夫です。話したくないことは無理に話す必要はありません。

感情のコントロールが難しいのですが、治療できますか?

感情調節の困難は、複雑性PTSDの中心的な症状のひとつです。治療の第1段階では、感情調節のスキルを身につけることに重点を置きます。感情調節と対人関係のスキルを身につけるトレーニングや、グラウンディング技法などを用いて、段階的に改善を目指します。

「自分は壊れている」と感じるのですが、おかしいですか?

おかしくありません。否定的な自己概念は、複雑性PTSDの特徴的な症状のひとつです。長期間のトラウマ体験を通じて形成された信念であり、あなたの「弱さ」ではなく、脳と心が過酷な環境に適応した結果です。治療によって、その信念は少しずつ変化していきます。

薬を飲むことに抵抗があります。

薬物療法は治療の選択肢のひとつです。心理療法を中心に進めることも可能です。ただし、強い不眠や感情の不安定さが心理療法に取り組む妨げになっている場合は、一時的に薬の力を借りることで治療を進めやすくなることもあります。主治医とご相談ください。

フラッシュバックや解離が起きた時はどうすればよいですか?

「今ここ」に意識を戻すグラウンディングが有効です。5つの見えるもの、4つの触れるもの、3つの聞こえる音を数えてみてください。冷たい水で手を洗う、氷を握るなどの身体感覚を使う方法も役立ちます。呼吸を「4秒吸って6秒吐く」とゆっくりにすることで、神経系の過覚醒を和らげることもできます。

家族はどう接すればよいですか?

つらい体験を否定せずに受け止め、「あなたのせいではない」というメッセージを伝えてください。感情の爆発や引きこもりは病気の症状であり、叱責や無理な直面化は逆効果になります。回復には時間がかかりますので、長い目で見守ってあげてください。ご家族自身のケアも忘れずに行ってください。


08関連する疾患

関連コラム


09参考文献

  • World Health Organization. International Classification of Diseases. 11th Revision (ICD-11). WHO; 2022.
  • Cloitre M, Courtois CA, Charuvastra A, et al. Treatment of complex PTSD: Results of the ISTSS expert clinician survey on best practices. J Trauma Stress. 2011;24(6):615-627.
  • Herman JL. Trauma and Recovery: The Aftermath of Violence – From Domestic Abuse to Political Terror. Basic Books; 1992.
  • International Society for Traumatic Stress Studies (ISTSS). ISTSS Guidelines Position Paper on Complex PTSD in Adults. 2019.
  • 飛鳥井望. PTSDの臨床研究:理論と実践. 金剛出版; 2008.
  • Brewin CR, Cloitre M, Hyland P, et al. A review of current evidence regarding the ICD-11 proposals for diagnosing PTSD and complex PTSD. Clin Psychol Rev. 2017;58:1-15.
  • Felitti VJ, Anda RF, Nordenberg D, et al. Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. Am J Prev Med. 1998;14(4):245-258.
  • Cloitre M, Hyland P, Bisson JI, et al. ICD-11 Posttraumatic Stress Disorder and Complex Posttraumatic Stress Disorder in the United States: A Population-Based Study. J Trauma Stress. 2019;32(6):833-842.
  • Ben-Ezra M, Karatzias T, Hyland P, et al. Posttraumatic stress disorder and complex posttraumatic stress disorder as per ICD-11 proposals: A population study in Israel. Depress Anxiety. 2018;35(3):264-274.
  • 国立精神・神経医療研究センター. 複雑性PTSD治療前進へ – STAIR Narrative Therapyの成果. 2022.
  • DSM-5-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル(American Psychiatric Association, 2022/日本語版: 医学書院, 2023)