気分の波は、治療でだいぶ落ち着いてきた。それなのに、メールを最後まで読めない。会議の話が、途中から頭に入らなくなる。双極症(双極性障害)の経過では、こうした「頭の働き」の困りごとが起こることがあります。
気分の病気なのだから、気分が戻れば頭も戻るはずだ。そう考えるのが自然だと思います。ところが、集中や記憶の不調は、うつや躁の最中だけのものではありません。気分が落ち着いた寛解期にも残ることがあるのです。仕事、学業、家事、対人関係に、じわじわ影響します。
「やる気がないだけ」「年齢のせい」と片づけられやすい症状です。けれども、性格や努力不足の問題ではありません。脳の働き方、繰り返すエピソード、睡眠の乱れ、薬剤、身体状態。こうした要因が重なって起きる、症状としての「頭のしづらさ」です。
- 影響を受けやすいのは、注意と集中、実行機能、言語性記憶、処理速度、社会的認知です。どれも生活に直結する領域です。
- 不調は、うつ状態や躁状態の時期だけでなく、寛解期にも残ることがあります。個人差が大きく、ほとんど目立たない方もいます。
- 対応の柱は、再発予防、睡眠の立て直し、薬剤調整、認知リハビリテーション、生活上の工夫の組み合わせです。
双極症で認知機能はどう変わるのか
そもそも認知機能とは、何を指すのでしょうか。注意を向ける、覚える、考えを整理する、計画を立てる、相手の気持ちを読み取る。こうした「頭の働き」全般のことです。買い物ひとつでも、献立を考え、必要なものを思い出し、店内で探す順番を決めています。複数の機能が、同時に動いているのです。
双極症では、この働きに負荷がかかることがあります。うつ状態では、集中力や思考のスピードが落ち、記憶も入りにくくなります。躁状態や軽躁状態では、考えが次々に浮かびます。その一方で、注意が散りやすく、吟味や整理が追いつかないことがあります。ここまでは、気分の波の延長として想像しやすいと思います。
想像しにくいのは、その先です。症状が落ち着いた寛解期にも、一定の認知的な弱さが残る方がいます。国際双極性障害学会は、当事者向けの小冊子を出しています。そこでも、寛解期の方の一部に、処理速度や記憶、実行機能などの低下がみられると紹介されています。日本人の寛解期の患者さんを対象にした研究でも、処理速度、視覚学習、社会認知などの低下が報告されています。ただし、現れ方の個人差は大きいものです。就労や学業にほとんど支障がない方もいます。寛解期でも、復職の壁になる方もいます。
「何度読んでも文章が頭に入ってこない」「会議で話を追えない」「以前ならできた段取りが組めない」。こうした困りごとは、双極症の経過の中で起こりうる認知機能の症状です。ご自身を責める材料ではありません。治療と工夫で対応できるテーマとして、とらえてください。
どのような症状が現れるのか
では、ご自身の困りごとは、どの領域の話なのでしょうか。双極症で影響を受けやすい領域を、生活の中での現れ方とあわせて整理します。すべての方にすべてが現れるわけではありません。強く出る領域には、個人差があります。
| 領域 | 生活の中での現れ方 |
|---|---|
| 注意・集中 | 本やメールを最後まで追えない、会話の途中で内容が抜ける |
| 実行機能 | 優先順位がつけられない、段取りが崩れる、複数の作業を整理できない |
| 言語性記憶 | 新しい手順や約束を覚えにくい、説明を聞いた直後に内容を思い出せない |
| 処理速度 | 仕事や家事のペースが落ちる、説明を理解するのに時間がかかる |
| 社会的認知 | 相手の表情や気持ちを読み違える、対人場面で消耗する |
注意と集中
注意は、必要な情報を選び取り、そこに留まる力です。ここが弱ると、メールの続きを読めなくなります。会議の内容が、耳をすり抜けます。レジ待ちで、次の動作が遅れることもあります。うつ状態では、集中を維持する力が落ちます。躁状態や軽躁状態では、注意があちこちに飛びます。一つの作業に、とどまれなくなるのです。
実行機能
「段取りが組めない」という訴えの正体は、多くの場合ここにあります。実行機能は、目標を立て、優先順位を決め、手順を組み立て、計画どおり動くための働きです。双極症では、この領域が揺れやすくなります。複数の作業を並行して回す、締め切りから逆算する、予定変更に柔軟に対応する。こうした場面で、困りごとが出やすくなります。能力そのものが失われたわけではありません。容量が一時的に狭くなっている、と考えると理解しやすいかもしれません。
言語性記憶
「昔より物覚えが悪くなった」という感覚は、多くの場合ここに現れます。言語性記憶は、聞いた話や読んだ文章を覚え、あとで思い出す力です。影響が出ると、新しい手順が頭に残らなくなります。約束や持ち物を忘れやすくなります。会議の内容を、家に帰ってから説明できないこともあります。認知症ではないかと、不安になる方も少なくありません。
処理速度
同じ仕事に、以前より時間がかかる。処理速度の低下は、時間の形で表に出ます。情報を取り込み、判断し、動作に移すまでのスピードが落ちるためです。口頭の説明を理解するのに、時間がかかります。周囲のペースについていくのが、つらくなります。頑張って追いつこうとするほど、疲れやすくなります。その疲労が、さらに処理速度を落とします。悪循環に入りやすい領域です。
なぜ起きるのか
ここまで読んで、「脳そのものが傷んでしまったのか」と不安になった方もいるかもしれません。原因は、ひとつでは説明できません。病気そのものの影響、気分症状の残り方、睡眠や体内時計の乱れ。ストレス、身体合併症、薬剤の影響。これらが重なって起きます。「脳の問題か、気の持ちようか」という二択ではありません。病態・生活・治療の複合的な結果として考えるほうが、実情に合っています。
- 気分エピソードそのものの影響: うつ、躁、混合状態では、一時的に認知機能が悪化しやすくなります。
- 寛解期にも残る特性: 気分が安定しても、処理速度や記憶、実行機能の弱さが残る方がいます。エピソードを繰り返すほど、負担が積み上がりやすいと報告されています。
- 睡眠と生活リズムの乱れ: 双極症では、睡眠と再発が密接に関わります。睡眠不足や昼夜逆転は、認知機能にも直接響きます。
- 薬剤の影響: 眠気や鎮静、抗コリン作用のある薬は、注意や処理速度に不利に働くことがあります。一方で、気分症状が整うことで認知機能が改善する場合も少なくありません。
- 飲酒・物質使用・身体合併症: アルコール、代謝異常、循環器リスク、慢性的なストレスも、認知機能に不利に働きます。
この並びは、裏返せばそのまま点検表になります。「記憶力が落ちたかどうか」だけを見るのではありません。気分の安定度、睡眠、服薬、飲酒、身体状態、生活負荷をセットで見直します。気分の日内変動や季節変動、躁うつ混合状態についてもあわせて確認します。こうした波が背景にあると、認知の揺れも大きくなりやすいためです。
似ているけれど違う症状
集中しにくい、覚えにくい。この症状そのものは、双極症以外でも起こります。似ているけれど背景が違うものを知っておくと、治療の方向も定まりやすくなります。
うつ病性仮性認知症
物忘れが目立つと、まず認知症が頭をよぎると思います。実際、重いうつ状態では、物忘れや判断力の低下が目立ちます。一見すると、認知症のように見えることがあるのです。これを「うつ病性仮性認知症」と呼ぶことがあります。うつ状態が改善すると、認知機能も戻る方がいます。一方で、気分の病気のあとに認知症が現れることもあります。経過だけで見分けられるとは限りません。だからこそ、急いで認知症と決めつけないことが大切です。逆に、大丈夫と決めつけないことも大切です。高齢期では、事情がもう少し複雑になります。双極症の再燃、うつ状態、薬剤の影響、神経変性疾患が重なって見えることがあるためです。精神科と脳神経内科・もの忘れ外来が連携して評価することが望まれます。
服薬の副作用による認知面への影響
「薬のせいで頭が働かないのではないか」。服薬中の方なら、一度は浮かぶ疑問だと思います。実際、双極症の治療薬には、眠気や集中しにくさを招くものがあります。併用されるベンゾジアゼピン系の抗不安薬・睡眠薬や、抗コリン作用のある薬剤も同様です。それなら薬をやめればよいのでしょうか。そうはいきません。自己判断で中止すると、かえって再燃し、認知機能を悪化させることがあります。気になるときは中止ではなく、主治医に相談して調整を検討してください。
ADHD の併存
気分は安定した。薬も整った。それでも「頭が働かない」「片づけられない」が続く。そういうとき、視野に入ってくるのが注意欠如多動症(ADHD)の併存です。双極症に ADHD が併存することは、少なくないと報告されています。手がかりのひとつは、困りごとの始まった時期です。幼少期から、不注意や落ち着きのなさ、段取りの苦手さが続いていたか。気分が安定した時期にも、それが残っているか。当てはまるときは、ADHD の併存という観点からも評価することがあります。ただし、併存の評価は慎重に行う必要があります。難治性うつ病と発達障害についてもあわせてご覧いただくと、整理しやすくなります。
治療と日常の工夫
では、どうすれば頭の働きは戻るのでしょうか。「頑張って能力を取り戻す」ことを目標にするより、実際的な道があります。負荷のかかり方を調整し、失敗を減らす設計に、重点を置くことです。日本うつ病学会の双極症2023診療ガイドラインも、この方向です。再発予防と心理社会的支援の組み合わせが、繰り返し強調されています。
1. 気分安定薬と再発予防
認知機能を守るために、まず効くのは何でしょうか。特別な訓練ではありません。エピソードの再発・再燃を減らすことです。うつや躁を繰り返すほど、日常生活の立て直しは難しくなります。再発予防の中心になるのは、気分安定薬と一部の第二世代抗精神病薬です。気分安定薬には、リチウム、バルプロ酸、ラモトリギンなどがあります。なかでもリチウムは、再発予防と自殺リスクの低減が複数の研究で示されています。双極症治療の軸となる薬剤の一つです。認知面の副作用が気になるときは、気分安定の必要性とのバランスを主治医と見直します。自己判断での減量・中止は避けてください。
2. 認知リハビリテーション
記憶力そのものを鍛え直す訓練、と聞こえるかもしれません。実際には、課題を繰り返して認知の力を鍛える方法も含まれます。認知リハビリテーションや機能リメディエーションは、課題練習にとどまりません。日常生活で使える工夫に落とし込んでいく支援です。国内での提供は、まだ限られています。それでも、自分で取り入れやすい代償戦略は多くあります。診察や家庭での実践にも、つなげられます。
- 予定やタスクを頭の中で覚えず、一元化したメモやアプリで管理する
- 作業を細かく分け、一つずつ終える(終わった段階で区切りのサインを残す)
- 会議や説明は要点を書きながら聞き、あとで見返す
- 複数作業の同時進行を減らし、切り替え回数を少なくする
- 疲れている時間帯に重要な判断をしない
どれも、記憶や注意の負担を軽くするための工夫です。一度に全部を始める必要はありません。取り入れやすいものから、一つ試してください。
3. 生活リズムと運動
地味に見えて、まず効くのは睡眠です。双極症では、睡眠・覚醒リズムをできるだけ一定に保つことが、気分の安定にも認知機能にも役立ちます。起床時刻を大きくずらさない。夜更かしや徹夜を減らす。休日の寝だめを控える。この小さな積み重ねが、再発予防の支えになります。
加えて、散歩や軽い有酸素運動を続けることも役立ちます。気分の安定と認知機能の両面に寄与することが、報告されています。いきなり厳しい運動を始める必要はありません。毎日歩く時間を少しだけ決めるところから始めると、続けやすくなります。食事や飲酒量の見直しもあわせると、認知面がさらに支えられます。
4. 就労・学業の調整
復職や復学の時期は、無理のかかりやすい場面です。寛解期に認知機能の弱さが残ったまま通常業務に戻ると、疲労が積み重なります。それが、再発の引き金になることもあります。主治医や職場・学校と相談しながら、次のような調整を検討します。
- 業務量・責任範囲を段階的に戻す
- マルチタスクや締め切りの重なる仕事を当面避ける
- 疲労のサインを早めに共有し、休憩や休暇を取りやすくする
- 必要に応じてリワーク(復職支援プログラム)や産業医面談を活用する
- 通院を続ける必要があるときは、自立支援医療(精神通院医療)制度による医療費の負担軽減を検討する
配慮を求めるのは気が引ける、と感じる方もいます。ただ、ここでの調整は治療の一部です。ペースを整えることは、再発を防ぐことにもつながります。
家族や周囲の方へ
そばにいる家族には、この症状は別の顔で見えます。「何度言っても覚えない」「やる気がない」。そう受け止めたくなるのは、症状が外から見えないためです。けれども、責められた本人は、強い自己否定を抱えやすくなります。役立つのは、責めることではありません。情報を整理しやすい環境を一緒につくることです。
- 口頭だけでなく、メモやチャットで要点を残す
- 一度に多くを頼まず、優先順位を明確にする
- 睡眠の乱れや活動量の急な変化など、再燃のサインを一緒に見る
- 受診時に、本人が説明しにくい生活の変化を補足して伝える
どれも、本人の記憶だけに頼らない伝え方への置き換えです。「覚えておいて」を「ここに書いておくね」に変える。それだけでも、すれ違いを減らしやすくなります。
早めに相談したいサイン
次のような変化が出ているときは、様子見を切り上げる目安になります。
- 物忘れや集中困難のために、仕事、学業、家事が明らかに回らなくなってきた
- うつや軽躁の再燃とともに、判断ミスや対人トラブルが増えている
- 薬の眠気やぼんやり感がつらいが、自分では調整できない
- 高齢期に入り、認知症との区別がつきにくい変化が出ている
- 寛解期にも集中困難や段取りの悪さが続き、復職や復学の支障になっている
双極症と認知機能障害は、我慢していても自然には整理できないことがあります。困りごとが生活に食い込んでいるときは、精神科で具体的に相談してください。伝えるときには、こつがあります。「物忘れがある」で終えないことです。どの場面で、何が、どのくらい困っているのか。ここまで話せると、評価と支援につながりやすくなります。
強い希死念慮、衝動行為、混合状態や躁転が疑われるときは、事情が別です。通常の予約を待たず、次の窓口や救急相談も利用してください。
- よりそいホットライン(厚生労働省補助事業): 0120-279-338(24時間・通話料無料)
- いのちの電話: 0570-783-556(毎日10時〜22時)/フリーダイヤル 0120-783-556(毎日16時〜21時、毎月10日は8時〜翌日8時)
- こころの健康相談統一ダイヤル: 0570-064-556(お住まいの自治体の窓口につながる。受付の曜日と時間は都道府県により異なる)
よくある質問
双極症で物忘れが増えることはありますか
あります。ただし、典型的な認知症の物忘れとまったく同じとは限りません。注意や集中の低下、処理速度の落ち込み、睡眠不足、抑うつの影響が重なります。その結果、「覚えにくい」「思い出しにくい」と感じることが多いのです。治療や生活調整で改善する余地がある場合も、少なくありません。
気分が安定していても認知機能障害は残りますか
残ることがあります。寛解期にも処理速度、注意、記憶、実行機能などの弱さが続く方がいます。このことは、国内外で繰り返し報告されています。一方で個人差が大きく、ほとんど気にならない方もいます。
双極症の薬で頭がぼんやりすることはありますか
あります。薬によっては眠気や鎮静が強く、注意や処理速度に影響することがあります。ただし、薬をやめれば必ず良くなるとは限りません。再燃によって、かえって認知機能が悪化することもあります。副作用が気になるときは、自己判断で中止せず、主治医と調整を相談してください。
双極症の認知機能障害は改善しますか
改善する可能性はあります。気分の安定、睡眠リズムの改善、薬剤調整、認知リハビリテーション、生活上の工夫。この組み合わせで、日常のしづらさが軽くなることは少なくありません。ただし、回復の仕方には個人差があります。「完全に元どおりになるか」だけを目標にしないでください。生活が回る形をどうつくるかを軸に考えるほうが、実践的です。
ADHD が併存しているかはどう見分けますか
手がかりは、始まった時期にあります。幼少期から不注意や落ち着きのなさ、段取りの苦手さが続いていたか。気分が安定した時期にも、それらが残っているか。この二点が目安になります。ただし、双極症の症状と ADHD の症状は重なる部分が多く、自己判断は難しい領域です。治療を続けても認知面の困りごとが残るときは、主治医と相談してください。そのうえで、あらためて併存の評価を受けることを検討します。
まとめ
気分は落ち着いたのに、メールが読めず、会議の話が抜ける。それは、やる気や年齢の問題ではありません。双極症の経過の中で起こりうる、認知機能の症状です。影響が出やすいのは、注意、実行機能、言語性記憶、処理速度、社会的認知です。気分エピソードの最中だけでなく、寛解期にも残ることがあります。対応の柱は、再発予防、睡眠の立て直し、薬剤調整、認知リハビリテーション、生活上の工夫です。「できない理由」を責めるのではなく、「できる形に整える」。この方針を、主治医と一緒に進めていきましょう。
集中力の低下や物忘れは、双極症の経過の中で十分に起こりうる症状です。気になる変化が続くときは、一人で抱え込まないでください。次の診察で、いちばん困っている場面を一つ話す。そこから、評価と支援が始まります。
あわせて読みたい
- 躁うつ病(双極症)とは
- 双極症(双極性障害)の日内変動について
- 季節性の気分の波(季節変動)
- 躁うつ混合状態について
- 気分循環症について
- 難治性うつ病と発達障害について
- 双極症(診療ページ)
- 神経発達症(ASD・ADHD)
参考文献
- 日本うつ病学会診療ガイドライン 双極性障害(双極症)2023
- 古野望ほか.寛解期日本人双極性障害患者の認知機能解析.精神神経学雑誌 2018
- 住吉太幹ほか訳.双極性障害における認知機能―当事者のための小冊子.国際双極性障害学会 日本語版 2020
- Nicoloro-SantaBarbara J, et al. Cognition in Bipolar Disorder: An Update for Clinicians. Focus (Am Psychiatr Publ). 2023
- Miskowiak KW, et al. Implementing cognitive screenings for outpatients with bipolar disorder following optimised treatment. European Neuropsychopharmacology. 2024
- 馬場元.認知症と気分障害との関連・鑑別.精神神経学雑誌 2024
- Miskowiak KW, et al. Efficacy and safety of established and off-label ADHD drug therapies for cognitive impairment or attention-deficit hyperactivity disorder symptoms in bipolar disorder: A systematic review by the ISBD Targeting Cognition Task Force. Bipolar Disorders. 2024

