🎥『駅 STATION』から読み解く病跡学
1. 作品概要
- 1981年公開、監督:降旗康男、主演:高倉健
- 舞台:北海道の地方都市
- 主人公:警察官・三上英次
→ 仕事と私生活のあいだで葛藤し、喪失と孤独を抱えながら生きる男。
2. 病跡学(パトグラフィー)的視点
病跡学とは、個人の生涯や表現を通じて、精神病理や心理的葛藤を読み解く学問。
『駅 STATION』では、三上英次という人物を以下の観点から分析できます。
3. 主人公・三上英次の精神構造
【A】喪失体験と孤独
- 結婚生活の破綻(離婚)
- 同僚の死
- 犯罪者との関わりによる精神的消耗 → 愛着対象を失うたびに深まる「孤独感」と「虚無感」
☞ 病跡学的には「喪失体験の反復と愛着障害」を示唆。
(未完了の喪失=次の対人関係にも影響)
【B】罪悪感と自己攻撃
- 自身の職務が家族や周囲に悪影響を及ぼしているという思い
- 自分を罰するかのような生き方(情緒的な自己放棄)
☞ 「内在化された攻撃性(自己攻撃)」が進行。
(=フロイト的には「罪悪感 → 自己破壊的傾向」)
【C】自己同一性の揺らぎ
- 「正義」のために働く警察官という役割
- しかし、現実の不条理(犯罪、人間の闇)に直面して疲弊
☞ 病跡学的には「役割と本来自己の分離」が進み、
「自分は何者なのか」というアイデンティティの脆弱性が露呈する。
4. 病跡学的診断仮説(モデル)
項目 | 病跡学的仮説 |
---|---|
喪失体験 | 複雑性悲嘆(コンプリケーテッド・グリーフ) |
孤独感 | 愛着障害(二次的) |
罪悪感・自己攻撃 | うつ病スペクトラム |
自己同一性の揺らぎ | 境界性パーソナリティ特性 |
再生の希求 | リジリエンス(内的回復力) |
5. 物語全体の病跡学的テーマ
「失われた愛着と、贖罪のための孤独な旅路」
- 三上英次は、愛と信頼を喪失し続けながら、なおも「再び誰かとつながりたい」という希望を捨てない。
- しかし、心の奥底には「自分にはそれに値しない」という無意識の自己否定が根強く存在する。
☞ これは、うつ的自己愛の葛藤と呼べるものです。
6. 病跡学的に見る「駅」という象徴
- 駅=「出発」と「別れ」の場所
- 三上にとって駅は「再出発を試みる場所」でありながら、
「過去と現在の間で引き裂かれる空間」でもある。
☞ 病跡学的には「自己同一性の回復を求める潜在的な願望」の象徴と読めます。
✨まとめ
『駅 STATION』は、単なる刑事ドラマではなく、
「孤独」「喪失」「贖罪」「再生」という深い精神のドラマを描いた作品です。
病跡学的に読み解くと、主人公・三上英次の「心の内なる傷」と「それでも前を向こうとする力」がより鮮明に浮かび上がってきます。
┌────────────┐
│ 【元・妻】桐子 │
│(結婚 → 離婚) │
│→「愛着喪失」「罪悪感」│
└────────────┘
↑
│(過去の喪失体験)
│
┌─────────────┐
│【主人公】三上英次(警察官)│
└─────────────┘
↓
│(再生の希求)
│
┌─────────────┐
│ 【新たな出会い】桐子(居酒屋の女将) │
│(疑似的な癒し・希望) │
└─────────────┘
↓
│(人間不信・自己否定の葛藤)
│
┌─────────────┐
│ 【同僚・後輩】 │
│(任務で失った仲間) │
│→「生存者罪悪感」 │
└─────────────┘
↓
│(正義感と無力感の分裂)
│
┌─────────────┐
│ 【犯人たち】 │
│(警察官として対峙) │
│→「人間存在への幻滅」 │
└─────────────┘
人物 | 関係 | 精神力動(病跡学視点) |
---|---|---|
元妻・桐子 | 元配偶者 | 愛着対象喪失 → 愛と信頼への不信の起点 |
居酒屋の桐子 | 新たな出会い | 疑似的な愛着形成 → 回復の希望と同時に「再び失うかもしれない恐怖」 |
同僚・後輩たち | 職場仲間 | 死別体験 → 「自分だけが生き残った」罪悪感(生存者の罪悪感) |
犯人たち | 対象(仕事) | 理想主義の崩壊、現実世界の闇への直面 → アイデンティティの揺らぎ |
- 過去(元妻・同僚の死) → 「喪失と罪悪感」を形成
- 現在(新たな出会い・犯人との対峙) → 「再生を試みるも、自らを縛る恐れと絶望」
つまり、三上英次は常に
- 「再び信じたい(つながりたい)」という希望と
- 「また失う(裏切られる)」という恐怖
この**二重拘束(ダブルバインド)**の中で生きている、という構造になります。
