よくある質問

Q&A

自己愛性パーソナリティ障害とは

「思い描いている自分」「取り柄のない自分」という二つの偽りの自己の間で揺れ動いています。本来の「等身大の自分」は欠如しています。思い描いた自分である限り、社会的には何不自由なく暮らしています。NPDの方々が受診するのは「現実が思い通りにいかなくなり」「取り柄のない自分」になった時です。具体的には、1.抑うつ、2.怒り、3.ひきこもり、4.強迫、を主訴にして受診します。

「自己愛性」という言葉と逆に、NPDの方々は「本当の自分」を愛せないという深い病理を抱いています。「等身大の自分」を受け容れられず、常に自分以上の自分でなければならないという自我同一性(アイデンティティ)の障害を生じています。

これは幼児期からの深い自己不信と無価値の感覚に根差しており、「自分がそのままでは愛されない」という条件付けの愛情が抑うつを作り出し、それを乗り越えるために、誇大的・万能的・理想的な偽りの自己を作り続けてきたと理解されます。

偽りの自己は、物質による幼児的万能感の過剰供給、共感性の乏しい親、自己を無力化する持続的侵襲、早過ぎる自立などの養育環境が関係しています。NPDの方々は甘えを早期に甘えを断念し、自尊心を獲得する構図の中で、深い自己不信外的価値観に重きをおく病理的な自尊心などがセットになり発育します。家族の病理は親の自己愛的欲望の強さによります。「親の欲、親の期待」が病因として協力に働いていたのです。

NPDの方々は「手ごたえのある大人」を求めています。具体的には、優しくて、強くて、自分を分かってくれる人物です。治療者はいわば生き様を問われることになります。治療関係ができると、NPDの方々は鎧(よろい)の下に、柔らかい傷つきやすい心を表します。本質は自己陶酔などではなく、自分は無力で価値がなく、何の取り柄もない無意味な存在であるという「劣等感」です。

そこで治療者は、「あるがままの自分を愛せないことが病理の中核である」と伝えます。そして、「自分が自分であればよい、自分は自分以上でないし、自分以下でもないのだから」という人間の基本原理が成立することを目標とします。

「凍える鏡」の画像検索結果画家をめざす青年・岡野瞬は東京の路上で自分の描いた絵を売っていた。ある日、信州の山荘でひとり暮らしをしている年老いた童話作家・矢崎香澄が講演のために上京し、その帰り道、街角で瞬の絵に目を留める。これが2人の出会いであった。やがて自殺した香澄の親友の部屋の片付けなどをきっかけに、親子以上に年の離れた瞬と香澄は不思議な絆で結ばれていく。瞬は少年のように純粋な心を持ちながら、すぐに怒りを爆発させては周囲と問題を起こす不安定な精神状態で、それを心配した香澄は、臨床心理士をしている一人娘・矢崎由里子に瞬の治療を頼む。由里子は瞬と面談し、彼に自己愛性パーソナリティ障害の傾向があることを感じる。カウンセリングを通して少しずつ心の平穏を覚え、同時に由里子に好意を抱いていく瞬。その過程で、瞬が幼児期に母から虐待を受けていた事実が明らかになっていく。そして実は、由里子自身も母親の香澄に対し、密かに充たされぬ感情を抱いていたのだった…。

精神科ニューアプローチ5パーソナリティ障害・摂食障害より

〒104-0061 東京都中央区銀座5-1-15-5階

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